変人?いや、良い父親だよ

以下の記事は、2002年12月8日に、Jonathan Margolisというマイコーの友人が書いたものです。
マイコーと彼の子供達と生活していくなかで、彼の素晴らしい父親ぶりに感心し、それを伝える内容になっています。
この文章の中で度々出てくる「ベルリンでの事件」というのは、マイコーがベルリンを訪れた際、ホテルのバルコニーから生まれたばかりの第三子(ブランケット)をだっこしながら外から見えるように出した事件。
「子供を高い所からつり下げて危険な目に合わせた。」とかなり酷く非難されました。
確かに親として間違ったことをしているけれど、表現がおおげさすぎでは…
マイコーの意図は「ファンに子供を見せたかった」だけで、「とても興奮していたのでこの様なことをしてしまった。」と説明し、きちんと謝罪しましたが、最悪の父親としてのレッテルを貼られたままでした。
以下の文章はおそらく、この事件を受けて「マイケルは悪い父親じゃない」と弁明するために発表されたのだと思います。


食事の前にはお祈りを欠かさず、マナーは完璧−マイケルジャクソンは本当に子供の面倒をよく見ている。
この記事は、彼と最も親しい者によって書かれたものである…

感謝祭はアメリカの家族にとって一番大切な日だ。アメリカの全ての家庭で、念入りに飾り付けられた七面鳥と、パンプキンパイの夕食が振る舞われる。
私が2年前に過ごした感謝祭でのディナーも、そんな典型的なものだった。しかし、同席した家族は普通ではなかった。
なぜなら、ニュージャージーにある私の友人宅に招かれていた客は、マイケルジャクソンと彼の5才の長男、プリンス・マイケルと、3才の少女、パリスであったからだ。

そう、あのマイケルジャクソンだ。一番下の子供、プリンス・マイケル2世をベルリンで60フィートもの高さのバルコニーからぶら下げて、いま世界で最も悪い父親と非難されている。
ジャクソンの常軌を逸した行動に対する丁寧な謝罪にも関わらず、もしこの事件がアメリカで起きていたならば、3人全ての子供達は引き離され、施設の保護下におかれると聞いた。

それでもなお、感謝祭の前後にマイケルと上二人の子供達と過ごした4ヶ月の体験に基づき、私は議論の余地がある結論に至った。
マイケルは周囲が言うような悪い父親とは全く違う。そればかりか、プリンスとパリスは、私が見て来たなかで、最も行儀が良く、よく躾けられた分別のある子供達だ。

ジャクソンの子供達と過ごしている間、私は彼らととても仲良くなった。
パリスを膝に乗せ、プリンスを隣に座らせ、彼らにお話を読んであげた。
プリンスが私の足の上におもちゃのトラクターを走らせた時、彼をしかったこともあった。
(彼はきちんと謝って対応した、そして「気持ちが十分こもっていない」と感じた父親に促されて、もう一度謝罪の言葉を繰り返した)

これは私の想像していたような、甘やかされ、周りとなじめない悪ガキとは違った。しかし他にも驚いたことがあった。
世間の噂によると、彼らは隔離されていて、他の子供達と触れ合う事を禁止されているらしい。しかし、私は彼らが友達と何時間も遊んでいる所を見て来た。

噂によれば、ジャクソンの子供達は一日の終わりに感染を恐れて全てのおもちゃを壊すらしい。
しかし私は、彼らが他の子供達がもっているようなプラスチックの薄汚れた不衛生ながらくたを抱きしめたり舐めたりしている様子を見て来た。

ある日、マイケルが例のやりすぎな買い物をしている間、プリンスとパリスに付いておもちゃ屋さんを廻った。
これは7時に始まり、素早く切り上げられた。なぜなら子供達の寝る時間が近づいていたからだ。
彼らは一人一個ずつだけ買う事を許されていた。

ジャクソンは神経質で風変わりで、繊細すぎるかもしれない。しかしプリンスとパリスは明るく、自信ありげで、情感豊かで優しい。
食事の前には祈りを唱え、単純化した子供言葉でなく、きちんとした文法で話す。それに、他の子供達のように、汚い言葉は禁じられている。

プリンスは真面目そうな顔をしているが、いたずら好きの性格で絶えず好奇心旺盛だ。
彼は、父親の命令を懸命に実行しようとするスタッフに囲まれているのに、横柄な振る舞いを見せる兆しは全く見られなかった。

パリスと知り合った時、彼女はとても幼く、可愛くて小さな顔をしていた。
どちらが先に父親の膝に飛び乗るか、プリンスといつも競争していた。
ジャクソンが子供達の母親であるデビー・ロウと離婚してから、子供達の子守りはガバーネス・グレイスに任されていた。彼女はヒスパニック系の女性で、自身は裏方に身を潜め、常に注意を払っていた。
私は、彼女が何かを見逃すなんて信じられない。もし、バルコニーでの一件があったとき、彼女がまだ子守りだったら、どんなに雇い主であるマイケルを非難していたか、考えるだけでも恐ろしい。

子供達の着る服は、プリンスの場合はマイケルが、パリスの場合はガバーネス・グレイスが選んでいるように思われた。
特別な日には、プリンスは小公子のようにかっちりと御めかししていた。パリスはいつも奇麗目でレースのあしらわれた、少し古めかしいベルベットのドレスを着ているようだった。

3人のお世話をしている時、プリンスとパリスが微笑ましい程度の兄弟げんかをしている様子も見れた。
ある日の食事中、プリンスはパリスがお気に入りのブランケットを持ち込んでいるのを見つけて、「パリスがブランケットを持ってるぞ」とからかった。
マイケルは、プリンスにそれを笑っていはいけないと指摘した。なぜなら彼もブランケットを持っていたからだ。
プリンスは少ししょんぼりして、秘密をばらされて恥ずかしがっているように見えた。30秒後、今度は小さな声で再び妹をからかい始めた。パリスはそれを無視した。

マイケルジャクソンの風変わりな性格は、元をたどれば彼の父親からの厳しすぎる躾によるものだ。
マイケルは子供に対して厳しいが、それは遥かに配慮された、人間味のある厳しさだ。
彼は断固として体罰に反対だ。このことで、彼の強い意志が分かりにくくなっているが、彼は子供達を出来るかぎり正常な方法で躾けるべきという固い決意を持っている。

彼の一番の心配事は、子供達が10代になった時に、麻薬や、芸能界に蔓延しているその他の悪い影響を避けられるかどうかだ。
彼は「だめなものはだめ。」と主張する。しかし、躾をするときは怒ったりどなったりしてはならない。
もし子供達がお互いに対して無礼だったり、不親切だったとき、マイケルはよく、彼らからおもちゃを取り上げて、部屋の隅に立たせておくという方法を取る。

ネバーランドで、子供達の持てるおもちゃは制限されている。彼らが友達と遊ぶ時は、おもちゃを「自分のもの」と言う事は許されておらず、お金をもつ唯一の目的は、その利益を他の人と分かち合うことだと教えられていた。
幾分驚きであるが、マイケルはうぬぼれに対して厳しい態度をとるべきだと主張する。
彼は、プリンスが鏡の前で自分の髪をかきあげて「僕、かっこいい」と言った時、どんな風にそれをたしなめたか話してくれた。
「まぁまぁだよ。」と言って訂正したそうだ。

また、プリンスとパリスは、社交的でありながらも、嘘をついてはいけないと教えられている。
彼らの父親に言わせれば、例え悪気の無い嘘であってもいけないそうだ。
彼は「物事を他の方面から見てごらん」とよく言い聞かせている。

例えばプリンスは、飛行機が乱気流に入っている時に怖がる。
マイケルはこんな説明をした。もし「ここは飛行機の中じゃなくてジェットコースターの上だ」と言えば、嘘だとばれるだろう。
しかし、「今飛行機の中に居るけど、ジェットコースターの上にいるつもりになってごらん」と言えば観点を変えたことになると。

マイケルは自分自身にも厳しい。ある日彼が最新のアルバムをレコーディングしている時、プリンスはスタジオの中に入ってポップコーンを床にこぼした。
マイケルはこれを自分で片付けると言い張った。ひざまずいている彼を見て困惑しているミュージシャンたちに対して、「これは自分の息子がやらかしたことだ。僕が掃除する。」と言った。

マイケルの友人で、感謝祭の夕食会を開いたrabbi shmulyey boteachは、このスターが、直感的に子供達の気持ちを理解する、類い稀な能力を持っていると信じている。
おそらく彼自身が決して成長できなかったからだろう。
rabbiは彼の8才の娘がネバーランドで迷子になった時の事を話してくれた。
泣いている彼女を見て、彼は「バカな事をするな」としかりそうになった。しかしマイケルは間に入って彼女にこう言った。「どんな気持ちかわかるよ。僕が小さい頃迷子になった時の事を覚えているから」
私はこんな風にマイケルが子供に共感する場面を何度もみた。
マイケルは全ての子供達に対して大人と同じようにきちんと接する。彼らが大人同士の会話に割り込む事は許さないが、我々のほとんどが聞こえない振りをするような子供の質問に耳を傾けることにとてもよく通じている。
彼は犬を怖がっているが、子供にはゴールデンレトリバーを買い与えた。自分の分別の無い偏見に巻き込ませるのは間違っていると考えたからだ。
また、子供達からの厄介な質問に対して答えを適当に作り上げることを嫌う。
そうでなくて彼は、自宅内の広い図書館に行って正しい答えを調べようとする。

それでは、あの悪名高いバルコニーの一件でマイケルは何をやっていたのだろうか?
何が彼を子供の安全に関して病的なまでに拘らせ、かと思えば必要以上に赤ん坊を危険にさらさせているのだろう。
私はこう予測することしかできないが、彼は常識はずれの方法で、別の信念を貫いているのではないだろうか−「子供達は何事も恐れないように教育されるべきだ」という信念を。
あの日の夜、マイケルは私に、自分は危険な事が大好きだが、理由は分からないと語った。

もしベルリンでの一件のような事が再び起こり、マイケルがソーシャルワーカーに対してこのような説明をしても、納得してもらえるとは思い難い。
しかし、ひょっとしたら、去年オクスフォード大学で彼が子供時代や自分の子供について講演した内容の一節には感心を持つかもしれない。

「もし、子供達が成長して私に腹を立てたらどうなるでしょう。また、彼らが思春期を迎えた時、私の選択がどんな風に影響をあたえるでしょう。
『どうして他の子供のように普通の子供時代が過ごせなかったの?』と聞かれるかもしれません。
そんな時、彼らが物事の肯定的な面を見てくれるよう祈っています。
つまり、『僕たちの父親は、特殊な環境の中でできるだけのことをやってくれた。』と自分たちに言い聞かせて欲しいのです。」

彼はこのように締めくくった。「彼らがいつも前向きな面に焦点を当てるようになって欲しい。私が喜んで彼らの為に払った犠牲に。
そして、自分たちが諦めざるを得なかったものや、私が侵したあらゆるミスを非難せず、それらをものともせず生きて行ってほしい。
なぜなら、私たちはみな、かつては誰かの子供であったし、どんなに計画を立てて努力したとしても、間違いはいつだって起こるものだと知っているからです。それが人間というものなのです。」

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