忘れてはいけない思い
マイコーが亡くなってから、「私マイコー好きなの」と言うことが凄く楽になりました。
ファンになったばかりの頃は、周りの人が彼の大活躍した時期を知らないこともあって、
彼を「異常行動ばかりの変人、少年を虐待した悪人、整形し過ぎのアホ」とだけ思っていました。
マイコーが「歌もダンスもうまくてかっこいい!」という当たり前の事実すら認められていない状態でした。
当然、夢中になる私の気持ちはあまり受け入れられず、「マイコーかっこいいよぉぉ!!めっちゃ良い人なんだよ~!!」と言っても焼け石に水状態で悔しい思いをしました。
マイコーが亡くなってから、そんなネガティブな報道は一気に抑えられ、「マイコーは凄いよね。」という肯定的な意見が主流になって、ファンが一気に増えました。
時が経てばきっとこんな言い伝えが広まるでしょう。
「昔、マイケルジャクソンというスーパースターがいました。彼は芸能人として大成功をおさめただけでなく、慈善事業にも力を入れて世界を良くしようとしていました。
しかし、新しい公演に向けて準備をしている間に、突然亡くなってしまいました。早すぎる死は世界中で惜しまれましたが、彼の作品は今でも世代や人種を超えて沢山の人に愛されています。」
こんな風に話がまとまれば、なんてすっきりさっぱり!なんでしょう。
なんて楽な気持ちになれるでしょう。
しかし残念ながら、私にとってこのような伝わり方は、生前の彼に対する報道と同じかそれ以上に最低なものです。
なぜなら、重要な事実が完全に欠如しているから。
お金・名声欲しさや嫉妬、偏見に取り付かれた人間が、マイコーに対して悪意のある事実無根の悪評を並べ立て、攻撃していたこと。
多くの人々がそれを信じて、面白がって、支持したこと。
それによってマイコーの寿命が蝕まれたこと、マイコーとマイコーを愛する人たちが長年傷ついて辛い思いをしてきたこと。
そして誰もそれを反省していないこと。
私は誰かを恨んだり憎んだりしたくないです。「マイコーに出会えて良かった。マイコーありがとう。一生好き!」とだけ言っていたいです。でも、本当にそれだけでいいのでしょうか。
このままでは、もし、世間がマイコーに対して行った仕打ちを忘れてしまったら、これからマイコーレベルの素晴らしい人物が現れたときに、同じことが起こってしまうような気がします。
マイコー個人の評判が改善しただけで、人間は自分たちの醜さ、残酷さ、愚かさを乗り越えることが出来ないままです。
マイコーは世界をもっと良い場所にしようとしていました。
もしマイコーが天国から世界を見ているとしたら、今でもそれを強く願っているでしょう。
私はマイコーの助けになりたかった。マイコーの思い描いている"better place"を作る手伝いがしたかった。
本当にこれからもそうしたいのなら、
ファンになった後の数年間に自分が感じ、他のファンと共有した辛さ、やるせなさ、怒り…そういった感情を忘れてはいけないのだと思います。
同じことが再び起こることがないように、多くの現代人が抱える問題…例えば「簡単に流されしまう所、事実を確認しようとしない所、時に誰かを一方的に深く傷つけていても麻痺してしまい気づかなくなる所、優れた人間に嫉妬して足を引っ張る所」と一生闘っていくことが必要です。
マイコーが失われた子供時代をずっと背負い続けて来たことと同じように。